世界中の人間に優しい言葉をかけてもらったとして、それでも結局お前が優しい言葉を自分にかけなきゃ、お前は明るく生きることは不可能

世界中の人間に優しい言葉をかけてもらったとして、それでも結局お前が優しい言葉を自分にかけなきゃ、お前は明るく生きることは不可能。

本当に大切で重要なことは、周りの人間が優しくしてくれたり仲がいい人ばかりだったりすることじゃなくて(それはあくまでも手段・何かを達成する為の道具)、そう言うやつらの自分への態度や掛けてくれる言葉を聞いているうちに、お前が自分に対して掛ける言葉や自分に対する態度・接し方が相手を真似て行ったかのように優しくなっていくってところ。

極端に反対のことを言うと、お前の周りの人間がどんだけお前に罵倒したり冷たく当たったりしたとしても、お前自身が自分に優しい言葉を掛ける状態にあることができたら、お前はその環境の割には心理的にかなり明るく生きていける。

人生の目的とか目標とか、普通に生きてたらなかなかぼんやりとして掴めないものだが、もしお前の毎日の生きる目的がぼんやりとしてるんなら、「自分に優しくできるようになること」を目的にするのが絶対良い。絶対損しない。

だってそうやん。たとえば社会が提示する勝ち組のやつらの一生ってさ、一生懸命受験勉強して一流の大学に行って、就職先は有名な大企業で、たくさん金持って、同年代のやつらから尊敬されて、同年代のやつらが羨むような美人な嫁さん捕まえて、とか、こんなの全部、自分が自分に対して優しい態度を向けられる為の材料に他ならないやん。それを言い換えるなら、ちょっとキザな言い方になるが「自分を好きになる」ための材料、やな。大学に受かるのも自分に優しい気持ちを向けられる為の材料、道具。就職とか収入とかステータスもみんな同じことや。

自分を好きになることが、とりあえずの人生の目的でいいんじゃないかと思うようになったんだけど。お前もそう思わんか?受験の成功とか、高収入とか、それ自体正直何の意味もないくだらんことやん。やろ?それらが優しい愛を自分に向けられる変容を経験することに繋がったことで、社長になったとか学者になったとか社会的に高ステータスを得たとかいうしょうもないことにも初めて意味が生まれる、と思わへんか?

逆に、もし大学合格とか高収入で金をたくさん手に入れて裕福に暮らすとかがそういう材料にならんかったなら、全く意味のないくだらんことだと思えへんか?有名大学に合格しても自分に対して優しい言葉を掛けられない。批判するような、責める言葉しか掛けられない。そんな結果に終わるなら、無意味だったと言えるんじゃないだろうか。高い給料貰って金いっぱい手に入れて、そんで自分のこと大っ嫌いで責める言葉ばっかりかけて、ちっとも優しい態度に近づくことができん、とかやったら、その「成功」に何の意味があんねん。何も楽しくないやん。成功ってのは、優しい満ち足りた気持ちになれてようやく「成功」やろ?

そんで、楽しいって気持ちになるには、なんか特別なことが必要じゃないと思うねん。自分に優しい言葉をかけてあげられるんなら、愛を向けられるんなら、クラブで夜通し遊ばなくたって、散歩してても家でごろごろしててもきっと満ち足りた楽しい気分になるはずや