労働を自己イメージと絡ませるには。

仕事とは、その実体は自分の手を動かして行う雑多な”作業”の寄せ集めだ。

この”作業”のままだと、自己イメージとあまり絡まない。このままだといろんな雑多なことの寄せ集めであり、意味や目的を付け加えられていないので、全体に統一感もなく、うまく自己イメージの材料にできない。

そこで、”労働””仕事”というふうに概念化する。何かに貢献して、金を貰うこと、と定義づける。意味づけや目的設定をする。こうすることで日々の瞬間瞬間の雑多な作業が色を持ち、意味や目的のある1つのまとまりという印象を感じるようになる。こうして、労働や仕事という概念は自己イメージの材料として用いられるようになる。

 

しかし、この労働という概念だけを取り上げてあーだこーだ議論することが人間にはできるが、結局のところは1つ1つの雑多な作業の寄せ集めに過ぎない。概念の中身をちゃんと見つめると、ぼんやりとイメージした時に感じた深みは鳴りを潜め、その実体は意味も目的も持たない空っぽな像なのだとわかる。