幸せのメカニズムの核は思考と心理的に距離を置くこと
他人の言葉が誰かに直接届くことはない。
それは、他人が誰かを傷つけることはできない、とも言いかえることもできる。
なぜなら人間が傷つくのは、他人の言動によって自分の思考の内容が変わり、その自分の思考によって自分自身が傷つけられるからだ。
つまり、そういう意味で、他人の言葉が誰かに直接届くことはない、ということ。
また、人が何かを成し遂げることが、直接幸せに貢献しているわけではない。
なぜなら、何かを成し遂げることで、その人の思考パターンが変わり、自分に対して愛を向けることが容易くなるから、結果的にその人が幸せになっているから。
幸せは何かを成し遂げることが必須ではない。社会的に何か名のある人物になることが必須ではない。人間が呼ぶ幸せというもののメカニズムの核とは、無条件の自己受容(自分を愛する、自分を好きになる、とも言える)に自分の思考パターンを近づけていくことである。
無条件の自己受容とは、どんな自分も許し受け入れられる心境である。
つまり、これまで世間が言っていた幸福の条件なんてものは、虚構にすぎない。つまり、世間が教えてくれる幸せの条件を満たせば自分が幸せになれるかと言ったら、そうではないということ。幸せの本質・核とは、何かになるとか、行動を起こすとか、出来ることが増えたとか、そういうところではないということ。
だから、幸せになりたければ、リア充になることが必須であるわけではない。結婚が必須ではない。たくさんの友達が必須ではない。安定した生活が必須ではない。上級国民的なド派手な生活が必須ではない。
自分の思考パターンに意識的になること。自分の思考がどれだけ自分に不寛容なのかを知っていること、気づいていること、意識的になること。シンプルに、たったそれだけでいい。思考パターンを変えようと切迫感を持ってやらなくていい。気づいているだけで、だんだんと思考から距離を置くようになり、プレッシャーが薄れ、余裕が出てきて、結果的に幸せに近づいているだろう。
つまり「こうなることができたorこうすることができた自分なら、私は私を受け入れられるかもしれない。私を好きになれるかもしれない。愛せるかもしれない」という、行動の前提として繰り広げられていた自分の思考に気づくこと。そうして、自分を繋いでいる鎖のような、自分を閉じ込める檻のような思考とどんどん心理的に距離を置くこと。
最終的な目標は、いまここで生きている自分を受け入れること。これからの未来でどんな自分になったとしても安心して受け入れられる心境になること。
無条件に受け入れられるとは、「こんな恥ずかしい自分だけれど」とネガティブな臭いを感じさせるものではないことに注意。むしろ誰にも恥じない、胸を張って生きれる心境。