ダンガンロンパ3 絶望編

つらすぎる。観ててつらすぎる。

絶望で終わる物語か…。

 

俺は日向・七海というキャラクターが好きだ。

あの2人の関係が本当に好きだ。

俺は原作ゲームをやっていないから、日向がこれからどうなるかは詳しくは分からんが、

絶望に堕ちることだけはオープニングの江ノ島を見てたら分かる。

絶望に堕ちる前の彼は劣等感にさいなまれてはいるが、ちゃんと常識的な感性を持っているし、一般人以上には正義感も備えている、ただの善良な性質の生徒なんだ。

本当に、普通にいいヤツなんだ。

 

 

だが、もうこれからは終わりが始まるんだな。つらいが観よう。1・2リロードも買ってプレイする。日向のおはなしがどういうラストを迎えるのかをちゃんと見たい。

 

どうしてこんなにもダンロン3の日向を始め絶望編のキャラに好感を持ったのかを考えてみると、

きっと世界をめちゃくちゃにした彼らの

まだコトを起こさなかった頃とのあまりのギャップ。その意外性(未来での非道な行いと過去での皆の常識的な感性とのギャップ)に惹かれてるんだなきっと。それと、視点の立ち位置的に過去の方に主軸があるからいいんだよ、絶望編は。未来から少し時間を割いて過去をノスタルジックに思い返すんじゃなくて、現在進行形で”いま”として描いてるから良いんだよ。ああ、こいつらはこれからやばいことになっちゃうんだなって。

無条件に自分を愛する

無条件に自分を許し、受け入れ、愛する。

最近意識し始めた考え方だ。

これから僕が生きる上でとても大切な考え方に出会えたと思っている。

自分を愛することに条件づけをしていた これまでの僕の考え方は、間違いとまでは言わないがかなり生きにくいものだったように思う。

情けなくても 立派じゃなくても そんな自分を心の中で否定せず許し 愛することが 気楽に生きていくうえで必要な考え方なのだと今は思えている。

それは同時に 期待や希望といったものは持たないことも意味する。

つまり 期待する時点で どんな状況 どんな自分も無条件で愛してはいないということだからだ。無条件とは いまの自分に対して だけではなく

どこで何をしているのかまったくわからない 行方不明な未来の自分に対しても ということなのだ。

 

もちろんこのような考え方をナチュラルに持ってなかった僕が100パーセントこの考え方に染まることなんて無理なことだろう。

でも 物事は100か0か 有るか無しか ではない。程度というものがある。

無条件に自分を愛する。この考えを自然になじませることを目指していこうと思う。

 

 

どこかを目指し行動することに一生懸命になる前に それ以前のまだ行動に移していない自分をそもそも否定せずに愛していることが自分を責めないコツであると大勢の人たちに受け入れられたら もっと人の世はらくになるのかもなぁ。そんな時代は来ないだろうけど。

パワポケ6の思い出

パワポケ6をプレイし

まだ小学生だった僕は

死の怖さや 消える命の儚さ、むなしさを少し理解したように思う。

 

タイムパトロールとして未来世界から現代にやってきた主人公は

ラストで未来へと帰る(ルートもある)。

未来に帰った主人公のアルバムでのセリフは

BGMの効果もあり

僕の心をひどく揺らした。

未来へ帰った主人公はタイムトラベル先で出会った人たちを思い返し 次のような心情を漏らす。

ともに過ごしたみんなが、遠い遠い昔にすでに死んでいる人たちだなんて、とても信じられない。もし望みが叶うなら、もう一度彼らに会いたい。だけど、それは叶わないだろう。

たしかそういう内容だった。

今ならタイムトラベラー特有の悲哀に注目してちょっぴり同情したりするのだろうが

当時の僕は純粋に死を意識した。

ゲーム本編で登場した気の良いおじさんやクセのある相棒、可愛い高校生の女の子は”すでに大昔に死んでしまった人たち”…。

アルバム再生時に出てくる こちらへ向ける彼らの笑顔が上記の事実により

ひどく悲しく寂しく儚いものに感じた。

タイムトラベラーが未来で 現実に実在するようになるのかは分からないが もしそのような人たちが出現するようになるとしたら きっと彼らはこのような複雑な思いで”既に死んだ人たち”と接するのだろう。

 

 

また 裏サクセスで勝手がわからずにバッドルート直行で島の兵隊に処刑された時。

あまりにもなすすべもなく

あまりにも一方的に

処刑場で射殺されてしまったことに子供の僕はただ恐怖し

急いで父が昼寝している布団に駆け寄り頭から毛布を突っ込んだ。

そうすると そばで寝息を立てている父の死さえもまざまざと意識してしまった。

さらに恐怖は募りただただ涙を目に貯めて父の近くで震えるのみだった。

無力に されるがままに 一方的に何かを奪われるのは とても怖いことだ。

 

 

1時に起床。シャワーを浴びる。ダンガンロンパ3を観る。
最近は心がひどく痛んでいる。あと、まだ眠気で夢見心地なのかもしれない。アニメにいつもより深く感情移入していた。そして、自分の現実と比べてしまった。さっきから七海千秋が俺の現実にいてくれたらって、支えてくれたらって、そればかりが頭の中を巡って、気持ちを悲しくさせる。確かに自殺をする必要がないことは理解している。それでも、こんな身体じゃあ、生きていくのが辛い。すぐに体調を崩し、すぐに抑うつ的な気分になる脳。もういやだ、こんな身体。幸福感を得たい、そしてそれはきっと無理なんだ。

気絶したい、か。

なんだか救われた気分がするな。別に俺は死ななくていいし、死ぬ必要性もなかったんだ。

つらいことがあれば長時間睡眠を心がけたり、できるだけ意識を落とすことを意識すれば良い。我慢できないなら逃げて、ひたすら残りの人生のほとんどを気絶して過ごせば良いんだ。少なくとも死ぬことなんてしなくて良いんだよな。