終末のイゼッタ、なんか良いよね

終末のイゼッタ、なんか良いよね。

現在にも知恵の回る人はいるだろうけど、過去にも当然にそういう人らはいて

時代に翻弄されながらも必死に知恵を絞ってがむしゃらに動き回って乗り切ろうとする彼らの姿。

あと、やっぱり時代的な問題で(個人的な問題ではない。どれだけ切れ者でもやはり限界がある)その人たちの認知能力とか発想力には限界があって、それでも頭を回して必死に乗り切ろうと悩みまくるあの感じ。

なんかそういうのが心にクルよね。そのあり方が美しいというか。

 

知能信仰はだいぶおれの中から消せたと思ったけど、やっぱりこべりついてるなとも思う。

頭がいいからって何だ!結末が見えてる歴史の中で必死に未来を模索している過去の人間達を眺めるのは、知能とかそんなの関係なく美しいと感じる、それは本当なんだ。

おれは21世紀を生きていた名もなき人間として死後注目されることは残念ながらないような感じだけど、この時代を生きた僕らはたとえば百年後のみんなにそういう風に思ってもらえるのかな。

君らは結末を知ってるから「こいつらくだらねえな」とか「こいつらバカだな」とか「なんでこうこうこういうふうにしねえんだよ。がんばればもっと上手くやれるだろ!」とか思うかもしれないけど、この時代に生きる俺としては「これからどうすればうまくいくのか、結局のところわからない」ってのがやっぱり大きいんだよ。この時代にももっともらしく社会に対する見解を述べる流行りの評論はたくさんあるけど、君らからしたらどこかまとが外れているように思えるのかもしれない。でも、結局そういうもんだよ。みんな、結局のところこれからどうなるのか全くわからないんだよ。全部手探りの、模索状態。それは、今の君らにも共感できる感覚なんじゃないの。俺はそこらへんが過去の歴史の人間を見てると心にクル理由だと思う。共感してるんだと思う、その模索している姿に。あと美しいとも思うな、なんか一生懸命生きてそうな感じがするし。

 

とにかく、俺はそういう風に観ているから終末のイゼッタはとても良いって思うんだ。

ゴールはたぶん悲劇になりそうなんだけど、てか戦争してる時点で犠牲は必ずあるから悲劇が起こらないはずがないんだけど、その絶望の結末に向かってるのとは対称的な”なんとか笑える未来を模索していこうとしているその姿勢”がとても美しい。人間って美しいなって思う。やっぱり結末を知ってるってのが大切なのかもね。暗い結末ってのも良いのかも。『暗い結末・破滅に着実に進んでいくひたむきで眩しい人たち』ってなんか良いよね。