読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

三年前からこのサイトを

三年前からこのサイトをちょいちょいみてたけど、最近特によく読むようになった。けっこういいな。いや、かなりいい。

このサイトの受験勉強の方法論の記事をみてそれを宅浪のなか実践してみて結局うまく机に向かえなくて自己否定して。その自己否定を原動力に机に向かおうとするけどまたしても机に向かえない(笑)

結局どこまでいっても机に向かえず自己否定の螺旋を登ってきた俺が入学したFラン大学もはや二年の冬。この一年は特に自分の精神とかについてひたすらあがいて何かいい心構えをつかもうとしていた。その一環でふと読んだ。たぶんここら辺の記事がこのサイトの真骨頂だったんだなぁ。人の精神に対する良い気づきをたくさん得ています。こんなの、俺1人では決して気づくことのできなかった深層の感覚だわ。このサイトの記事を感覚レベルで理解できているのは、何よりも幸福に思う。今まで良い気分になりたいとめちゃくちゃにあがいてきてよかった。もちろん今感じている高揚感もすぐに移り変わるものだとわきまえている。

 

別に、カルトな記事ではないよ!なるほどなぁと気づけることも多いと思う。文章もユーモアがあってけっこう楽に読める。

 

http://www.6rou.net/envi_syumi00.html

屍者の帝国を観た

なんか普通だった。期待しすぎたな。残念。

終末のイゼッタ、なんか良いよね

終末のイゼッタ、なんか良いよね。

現在にも知恵の回る人はいるだろうけど、過去にも当然にそういう人らはいて

時代に翻弄されながらも必死に知恵を絞ってがむしゃらに動き回って乗り切ろうとする彼らの姿。

あと、やっぱり時代的な問題で(個人的な問題ではない。どれだけ切れ者でもやはり限界がある)その人たちの認知能力とか発想力には限界があって、それでも頭を回して必死に乗り切ろうと悩みまくるあの感じ。

なんかそういうのが心にクルよね。そのあり方が美しいというか。

 

知能信仰はだいぶおれの中から消せたと思ったけど、やっぱりこべりついてるなとも思う。

頭がいいからって何だ!結末が見えてる歴史の中で必死に未来を模索している過去の人間達を眺めるのは、知能とかそんなの関係なく美しいと感じる、それは本当なんだ。

おれは21世紀を生きていた名もなき人間として死後注目されることは残念ながらないような感じだけど、この時代を生きた僕らはたとえば百年後のみんなにそういう風に思ってもらえるのかな。

君らは結末を知ってるから「こいつらくだらねえな」とか「こいつらバカだな」とか「なんでこうこうこういうふうにしねえんだよ。がんばればもっと上手くやれるだろ!」とか思うかもしれないけど、この時代に生きる俺としては「これからどうすればうまくいくのか、結局のところわからない」ってのがやっぱり大きいんだよ。この時代にももっともらしく社会に対する見解を述べる流行りの評論はたくさんあるけど、君らからしたらどこかまとが外れているように思えるのかもしれない。でも、結局そういうもんだよ。みんな、結局のところこれからどうなるのか全くわからないんだよ。全部手探りの、模索状態。それは、今の君らにも共感できる感覚なんじゃないの。俺はそこらへんが過去の歴史の人間を見てると心にクル理由だと思う。共感してるんだと思う、その模索している姿に。あと美しいとも思うな、なんか一生懸命生きてそうな感じがするし。

 

とにかく、俺はそういう風に観ているから終末のイゼッタはとても良いって思うんだ。

ゴールはたぶん悲劇になりそうなんだけど、てか戦争してる時点で犠牲は必ずあるから悲劇が起こらないはずがないんだけど、その絶望の結末に向かってるのとは対称的な”なんとか笑える未来を模索していこうとしているその姿勢”がとても美しい。人間って美しいなって思う。やっぱり結末を知ってるってのが大切なのかもね。暗い結末ってのも良いのかも。『暗い結末・破滅に着実に進んでいくひたむきで眩しい人たち』ってなんか良いよね。

最近見た2ちゃんねるまとめ記事と感想(随時更新)

同棲生活のリアルあるあるwwwwwww

http://alfalfalfa.com/articles/169157.html?utm_source=alfalfa&utm_medium=popular_pv1

 しょうじき他人と一緒に暮らしてると相手の嫌なところばかりが目につくようになりそうだから同棲も結婚もしたくないな。別居婚がベスト。

 

お前らがブラック企業を叩き続けた結果wwwwww

http://alfalfalfa.com/articles/169764.html?utm_source=alfalfa&utm_medium=osusume1#res_6

まじで滅んでくれ

 

人間が死ぬ直前の意識wwwwwwwwwwwwwwwww

http://alfalfalfa.com/articles/169767.html

今の自分はもしかしたら今までの人生の記憶を走馬灯的に繰り返してるだけで本当は死にかけてるんじゃないか?みたいなコメントが書き込まれてた。いい考えだと思う。なんか気分が楽になる感じがするし、毎日に新鮮味を感じられそうな考え方だと思ったから。

あと、溺れたときにそのときの体感時間では10分ぐらいはあったというコメントがあったが、これは何気にかなり恐ろしいと感じた。想像もしやすいし、確かに自分の経験を踏まえるとその通りに感じる。この事実はかなり恐ろしいことだと思う。

 

お前らが中年になって理解した事

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5133321.html

個人的には為になるスレだった。こういう為になるスレはもっと見たいかな。

 

11月25日

【話題】いつも幸せそうな人に共通する感情コントロール術7つ

http://world-fusigi.net/archives/8442425.html

この元記事は為になる考え方だった。個人的にしっくりくる。それほど無理なくできそうだ。

 

大人も楽しめるサークルみたいな感覚?友人達と始めた互助制度を紹介する

http://world-fusigi.net/archives/8629002.html?p=2

こういうのあるんだ。

金がどうこうというより、金のあれこれを名目に集まったりして飲み会するってのが楽しいんだろうなぁ。入ってみたい。

 

何で大人になるにつれて人生がつまらなくなったか真面目に考察する。

http://world-fusigi.net/archives/7371200.html

このスレ立てた人の主張は本当に同意。

なんでこんな社会になっちゃったんだろ。どうすればいいんだろ。なんとかなってくんないかなぁ。

プロジェクトぴあの、読了

いやあ、三章の頃は「ぴあのちゃん、かわいい!」とか言ってたけど

三章の時の自分の感想を見るとなんだか複雑な気分になるなぁ。

 

 

宇宙に意識はない(と思われる)からぴあのの愛は一方通行だけど

すばるに一方通行の愛を向けられるぴあのちゃん的には、何も感じないことの罪悪感と相手への憐憫か。機械人間にもなれないし、かと言って”人”から愛を向けられても女性として何も感じない。罪悪感と相手への憐憫だけが募る。

うーん。悲しくおもえるけど、魅力も感じるかな、そういうところ。

あと、確か愛されるのは「重い」って言ってたな。

そこらへんからぴあのについての考察を発展させられないかなあ。全く思いつかない

 

 

あとは、何気にあっさりと1、2文で語られてるところを詳しく見てみたい気がする。

例えば、月面で「クリスマスには帰れない」を歌うぴあのとかね。(クリ帰は地球にいる恋人への歌だけど、ぴあのさんの場合は地球に帰る時は「太陽系外から離れてしまう!」というふうに「逆クリ帰」になっちゃうんだなあ…苦笑   あと、もはや読了するとぴあのちゃんとか言えないんだよなあ、心情的に。ぴあのかぴあのさんがしっくりくる。だって妹的な感じには思えないんだよね。一歩引いて見るぐらいが自然だわ、個人的に)

 

アニメ化するんだろうか。してほしいなあ。してくれないかなあ。きっとアニメ化したら、上記のようなアニメ映えするシーンはきちんと描いてくれるんだと思うから。観てみたいなと強く思う。

 

 

あと作者さんへ。50代のおじさんが〜、とか言ってすみません。

何か失礼。そういう言い方。

(構成も何もない、ぐちゃぐちゃな文章になっていることを追記する)

 

虐めを受けた時、俺は相手に対して最後まで立ち向かえなかった。

あれから俺は被害者意識を持ち続けて日々を過ごしていたが

心の中を見つめてよく思い返してみると

何となく俺の被害者意識の本音のところに気づけたような気がしたのだが。

 

 

一応まとめてみると

虐められてすり減っているとはいえ

やはりいまだに残っている小さなプライドや幼い見栄のせいで

自らの苦しさを力一杯他人に叫べず、そして上手く他人に助けを求められずにいた。

相手に対して抗えなかった。

 

そんな自分をずっと惨めに思っていたし、嫌いだった。

 

虐めを受けている自分をとてもじゃないが好きにはなれなかったし、殴りかかれない自分や殴りかかっても数に物を言わせてリンチにされるであろう自分の雑魚さが何となく許せなかった。

 

だから、そんな自分を少しでも好きになりたいから、できるだけ相手を恨んでいた、のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからは気づいたことをメモのように書いていく。

 

理不尽で恐ろしい虐めのような状況に追い込まれた時にカチコチに固まってやられっぱなしになる自分の弱い心が嫌だったし惨めに思えたし悔しかった。

言い返してもすぐに負ける自分が嫌だったし惨めに思えたし悔しかった。

身体中を殴りまくって力で相手をねじ伏せてふざけたことを2度と言わせなくしてやる、なんてことが出来ない、体格的に劣り肉体的に非力で弱虫な自分が嫌だったし惨めに思えたし悔しかった。

そして、「虐めを受けている子だなんて思われたくない」というような感じの見栄やプライドのせいで

友達にも親にも担任の教師にも、今感じているつらさやくるしさを心の底から思いっきり伝えるような

相手にとってわかりやすいコミュニケーションができなかったのが辛かった。(具体的には”下を向いて恥ずかしそうにぽつぽつと”同級生からされていることを言った。自分からは質問以外のことでは話さず、それゆえ最低限の情報しか出さなかった。俺のSOSは”思いっきり感情の乗ったふう”には到底聞こえたなかっただろう。ドラマやアニメで虐めを受けている子に人々が保護欲を掻き立てられるのは、その子が涙を流してちゃんと自分の悲しさ(感情)を相手に伝えることに(演出やスタッフ・役者さんの努力等も功を奏して)成功しているというのも1つ大きいのだろう。俺の場合はプライドや見栄との葛藤に現在進行形で忙しかったので、ただ下を向いて恥ずかしそうにしてるだけだった。それがまずかった。涙を流しまくって泣きじゃくって相手の服でも掴んで「助けてよ!」と必死に懇願していれば、きっと結果は違ってたはずだ。やり方がまずかったおかげで、結局親も教師も解決にはあまり動かなかったので対応が中途半端になり、ろくなことにはならなかった。)

 

きっと、この性質は今も変わらない。似たような状況に追い込まれれば、俺はまた昔の自分と同じ反応を繰り返すんだろう。

でも、こうやって意識的に特徴を挙げていけば、いつかは変われるのかな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時、虐めを行ってきた者だけでなくそうでない者までもなぜだか恐ろしく感じた。つまり四面楚歌のような心境に陥った。現実は違うのに。

隣の席の子は(同じ小学校に通っていた子。小学生の頃からお喋りの時にはいつもニコニコしていたイメージがある)たびたび俺に話しかけてくれていたが、そのたびにその子の笑顔に

(これもまた事実とは異なり、虐めを行ってきた者の笑顔のせいで行き過ぎた被害妄想が働き)

嘲笑の色を無意識に感じ取り、泣きたくなった。

容姿に関する虐めを受けていたがゆえに、その時の体験も合わさり、若い女の人と会話する時には、冗談抜きで恐怖を感じている。(特にその子の当時の年齢だった中学生ぐらいの子は特に酷い)

あれから、性別関係なく、あまり顔を見ずに会話するようになった。眼が怖いんだ。高校の時、同じ部活の友達にそのことを指摘された(「目、合わせへんやん」)。他の高校の友達も、いま付き合いのある大学の友達も、その違和感には気づいているのだろうか。その友達は、俺が中学時代虐めを受けていたことを知っていたのだろうか。小学生の頃仲良くしていた人や高校生になって知り合い仲良くなった人達に、変わり果てていた自分を知って欲しくない。

あとは、電車にいても、人ごみのなかにいても、道で通行人とすれ違う時も、

視野に入る人全員が自分をじーっと見ているような感覚に襲われる。そして自分のルックスを心の中でけなしているような気がして、つらい。勝手にプライドが傷つく。

他人と話すときに恐怖を感じるが、その相手の年齢や容姿によってその大きさが違う。俺に虐めを行っていた者で中心的な人物は顔が整っている(容姿についての虐めなので当然だが)。そして前述の女の子も整った容姿をしていた。よって恐怖してしまう人を記号で示すと次のようになる。

若い女の人(中学生から20代の)>若い男の人(中学生から20代の)>30代から60代の人>70代以上の人

やはり異性の前だと余計に自分のルックスを気にしているのだと思う。

 

 

本音を言えば意識が覚醒しただけで毎日辛いが、死に近づく時のあの怖さのせいでどうしても自分で死ぬことが出来ない。

そしてこういう心の問題はその性質から治療法が不完全にならざるを得ない。完治なんていう希望は、出来るなら捨てたほうがいいと思っている。

だからこれからも生きていくなら、上手く付き合う方法を考えて見つけていきたい。そういう本を読んだり、自分と対話したり、ネットの記事を読むでもいい。

僕の望む未来は「健やかな心を持って生きる」だ。その未来に合わせて、現在の行動を設計しよう。

人類みなエゴイストだしクソみたいな世界になるのは当然。

人類の社会はいつも、いつまでもクソのままだ。

それは人類それぞれいろんな集団あるけど、その構成員の本質は漏れなくみなエゴイストであるから。

 

だからと言って、どれだけ嘆いてもこれからも自分たちはこの人類の社会で生涯を過ごすんだし

それに、自分たちだけじゃなくて、これから生まれてくる腐るほどの数の子孫たちもこの人類の社会で生きていく。

だから、嘆くよりも社会を改善していく方がよっぽど建設的だというのは分かるし、全くその通りだと思う。

 

だけど、人類みなエゴイストなんだから、人類の社会は結局は何十年何百年何千年経っても、最後の最後までクソなところはクソのまま、変わらずに残っていく(or新たに生まれる)ってのは当然だわな。

そりゃあ口だけなら耳ざわりの良いこと沢山言えるでしょうよ。でもその綺麗事を言ってる人の本質も必ずエゴイストだから。