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プロジェクトぴあの

いま三章途中。

面白い!そしてぴあのちゃんかわいい!五十代の男が書いてるとは思えない笑

でも、冒頭で語り部の妄想含みっぱなしって書いてあるしなぁ。読んでて、どういう受け止め方すればいいのやら。

もしあの冒頭文がなければ、「ぴあのちゃんかわいいー!」で単純になれるんだが、冒頭文があるおかげで「ぴあのちゃんかわいいー…、いや、これはやっぱり勝手に語り部が書いてる部分だろう」ってなって、とにかくめちゃくちゃ複雑な気分で楽しみづらい!

 

あと、女装語り部野郎はぴあののこと神格化してるけど、もしかしたら本人は案外隣に座って喋りあったり感動を分かち合ったりする対等な友達が欲しかったりね、心のどこかで。今後読み進めていって予想が外れるかもだけど。

てか、死なないように頑張って生きても、最後は寿命で死ぬって酷くね??

なんで俺って発狂しないんだろう?ナイフ目の前に突きつけられたら簡単に発狂するのに、寿命を突きつけられてもなんともおもわずけろっとしてる。

遠近法ってやつだろうけど

きょうは

キャベツとしいたけとピーマンのオイスター炒めと

鳥もも肉のチキン南蛮と、白米を作って食べたぞ!

 

栄養バランスサイコーじゃないか!

やっぱり食物繊維とビタミンとタンパク質は大切だよね。

2000年代は歴史として見るなら面白いだろうね

バラバラだった物質が特定の配列で組み合わさり

俺という生命現象が発現した。

そしてそのような現象は

現在70数億回起こっている。

俺の命ではまったく届かない永い未来の時間のうちで

これから起こる生命現象はその数千倍はくだらないはずだ。

それだけの数のおびただしい人間がこれから産まれ、自分の優位性を他者に認めさせるために競い、争い、そして悩み苦しみ、それでも求め、そして消える間で、

人の集団はどこへ向かって何を経験し何を経て何を得て最後にどこに行き着いてるのか。

それを俺の命では知ることができないのがツマラナイ。俺の子孫が体験することなんだけどさ。

だから、2000年代のいまこのときに未来の世界を好き勝手に描くのも面白いかもな。

 

 

いまは2016年の夏。2016年の夏はたった一度しか来ない。

未来の子孫たちは、いったい2000年代序盤をどのように捉え、分析するのか。気になるなぁ。きっと、歴史としてみるならとてもユニークで面白い時代に違いない。いま住んでる僕としては、この社会の非合理的な部分やあんまりな部分がいろいろ噴出しまくってて鬱陶しいぐらい生きづらくめんどくさいんだけど。

ああ、いま僕が生きているこの時代も、いま周りを取り巻いているこの状況も、いま感じてるこの感情もみな、歴史的遠近法の彼方で古典となるんだろう…。

それは、いまこの文を読んでいる未来の君も、例外ではないのだよ?なんてな。

「プロジェクトぴあの」

プロジェクトぴあのという小説の第1章を読んでみた。

結構面白いぞこれ。

明日から少しずつ読んでいこう。

「ローゼンメイデン」

中学2年の二学期から僕はいじめを受けていた。

それはまだ二学期が始まったばかりの9月からで、冬になる頃には精神的に、かなりきていた。

その頃(特に思春期なんて人生で1番感受性が高い時期に)、偶然出会ってハマっていたのがローゼンメイデンだった。

主人公との境遇は少し重なる部分もあったし、登場するキャラは皆とても魅力的に思えたから、あの作品に熱中したんだと思う。

その当時は、超本気でその創作上の世界に逃げていた。全話を何度も何度も食い入るように見た。心のどこかで、何度も見たらこの世界に入っていけるような気がしていたから。そして、そのアニメの中で動いてるキャラクターだけでなく、背景にこそ注目した。できるだけその世界に入り込めるように。そしてその世界の空気のにおいを嗅ぎたかった。

また、学校をサボって午前中ノートパソコンでネットに書かれたローゼンメイデンのSSを読み漁り、出来の良いのに出会えば、できるだけその世界に没入し、鮮明に情景を想い起こし、特にその世界の空気のにおいを感じようと(感じた気になろうと)躍起になった。僕は、昔から創作の世界のにおいを嗅いだ気になれる特技めいたものがあったから。上手くいけば実際に嗅覚が刺激されるんだが、もしかするとみんなもできる普通のことかもしれない。

こうやってとことん辛い学校から”心だけは”逃げようとしていたし、何なら、創作の世界が自分の現実の世界に出現してほしいと本気の本気で願っていた。それが叶わないなら、せめて、たまたま僕が知らない隠れた場所で、ひっそりと創作の世界の出来事や生活が行われてほしいと願っていた。僕は知らなくていいから、どうか、って。

そのうちに。「…いや、もしかしたらあの空と彼らの空は続いてるのかもしれない。僕が知らないだけで、あの空と同じどこかの空の下に、いるのかも。あのキャラたちが今この時もだれにも知られずに暮らしているのかも。あのキャラたちは、僕が知らないだけで、僕の生活とは比べ物にならないほど綺麗で朗らかで心地よい生活を過ごしているんだ。」なんてことばかり想うようになってしまった。何となく、現実世界に彼らが生きていることを思うと、僕の毎日が救われたような感覚がしたからだ。

おまけにひどい時は雨の日に雨宿りしながら、どこかで”僕を見ているはずの”キャラに、ぶつぶつと声を出して語りかけていた。心の声だけじゃあ、いつもやってるし足りない気がするから、より確実に、ちゃんとした肉声を出せば、彼らにもしかしたら届くのかもとなぜか思い込んで、現れてくれよとか助けてくれよみたいなことを延々と雨の中呟いてたような気がする。たまに泣きかけた。

氷菓第2クールオープニング『未完成ストライド』

深夜のテンションなんやろうけど
氷菓の第2クールのオープニングみてたらガチでちょっと泣けてきた。

高校時代にものすごく思い入れがあったアニメやし、オープニングは腐るほど繰り返し見てたし、学校の帰り道でガラケーにイヤホンさして聞きながら歌詞の意味をぼんやりとこうじゃないか、ああじゃないかと考えてたのもあって

少し間を空けたいまに改めてオープニング見て、じわーっと感動してる。

 

歌詞の内容がバシッとしてなくて、抽象的でよくわからんところもあったんやけど
その意味がいまなんとなく心で感じる実感としてわかってきた(つまり、歌詞に自分の経験や感じてきた感情を重ねて共感できるようになった)ような気がして
それでその時に高校時代に聴いてた時に歌詞の意味を(人生経験的な理由で)まだ実感としてわかるはずもないのに、こういうことなのかとか考えてた頃の自分が浮かんできて、なんか切ないようなよくわからない感動をしている。

 

ありがとう、製作者達。